長法寺・時の蔵 / 01 過去を見る
掌禅寺を歩く
― 仁王門・梵鐘・金龍桜に残る記憶 ―
掌禅寺の仁王門菊間町池原にある掌禅寺。
境内を歩くと、本堂や仁王門だけでなく、梵鐘、屋根や木部の意匠、金龍桜など、この場所で受け継がれてきた時間を感じさせるものが各所に残されています。
ここでは、現在の掌禅寺の姿と、境内に残る案内板の記録を写真とともに残します。
仁王門に残る建立の記録
掌禅寺の入口に建つ仁王門。
境内に掲げられた「仁王門由来」によれば、現在の仁王門は慶応3年(1867)10月に建立されたと記されています。
その背景には、梵鐘をめぐる地域の人々の歩みがありました。
同資料には、文化10年(1813)に郡内の勧進によって梵鐘が鋳造され、その鐘が安政2年(1855)に領主のもとへ献納されたと記されています。
その後、新たな梵鐘を鋳造するため地域に寄進を呼びかけたところ、当初の見積りを大きく上回る寄進が集まりました。
慶応3年に梵鐘を再鋳したのち、その余剰資金をもとに仁王門が建立されたと「仁王門由来」は伝えています。
仁王門は、寺の入口としてだけでなく、地域の人々が力を寄せ合った歴史を今に伝える建物でもあります。
境内に掲げられている「仁王門由来」「仁王門由来」の画像を拡大して見る →
失われ、再び鋳られた梵鐘
仁王門には、現在も梵鐘が吊られています。
「仁王門由来」の注記によれば、慶応3年に再鋳された梵鐘も、太平洋戦争の際に徴発されました。
現在の梵鐘は、戦後の昭和26年(1951)に再び鋳造されたものとされています。
鐘は失われても、再び鋳られ、この場所へ戻ってきました。
境内に響いてきた鐘の音もまた、時代を越えて受け継がれてきたものの一つです。
現在の梵鐘
仁王門と梵鐘建物に残る意匠
掌禅寺の建物を見上げると、屋根や木部にはさまざまな意匠が残されています。
掌禅寺本堂鴟尾や鬼瓦、軒まわりの瓦、木彫など、遠くから本堂を見るだけでは気づきにくい細部にも、寺をつくり、守ってきた人々の仕事を見ることができます。
屋根に残る意匠
鬼瓦掌禅寺の屋根瓦や木部には、「金」の文字を取り入れた意匠も見られます。
掌禅寺には金毘羅信仰との関わりが伝えられており、この「金」も金毘羅・金刀比羅にちなむ意匠である可能性があります。
ただし、今回確認した写真だけでは、この意匠の由来を確定することはできません。
今後、菊間町誌や寺院に残る史料などを確認しながら、その意味を記録していきます。
「金」の文字を取り入れた屋根の意匠
「金」の文字を取り入れた木部の意匠金龍桜
境内には「金龍桜」と呼ばれる桜があります。
現地の案内板によれば、品種はエドヒガン(江戸彼岸)。
幹周約3.88メートル、根周約3.37メートル、樹高約16メートル、樹齢は約400年とされています。
エドヒガンは、彼岸の頃に他の桜に先がけて咲くことから、その名が付いたと案内されています。
また、現地案内板には、「金龍桜」の名称は掌禅寺の山号「金龍山」に由来すると記されています。
一方で、掌禅寺の山号については別の資料に異なる表記も見られるため、ここでは現地案内板の記述として記録します。
金龍桜の現地案内板次へ渡していくもの
仁王門も、梵鐘も、桜も、いま突然ここに現れたものではありません。
誰かが建て、誰かが守り、失われたものは再びつくられ、今日まで受け渡されてきました。
いま目の前にある風景も、誰かの手のつづきです。
長法寺「時の蔵」では、菊間に残るこうした記憶を、現在の姿とともに記録し、次へ渡していきます。
本堂側から仁王門を望む出典・現地資料
撮影:2026年10月9日
※本文中の年代・数値は、今回確認した現地掲示をもとに記載しています。今後、町誌・寺院史料などとの照合により、内容を追記・整理する場合があります。
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