大島の高龍寺公式「高龍寺の歴史」は、長本寺に伝わる村上氏一族の位牌と関連記録に言及しています。その解説によると、寛政11年(1799)9月、村上左衛門尉義弘(仁徳院殿)の450年忌を大島の高龍寺で営んだという記載があります。海を隔てた寺院の間で、供養の記憶が受け継がれてきたことを考える手がかりです。
ここでいう村上義弘は、佐方の碑や伝承にみえる村上備中守義光、文献上の吉光・吉充と同一人物として扱いません。今回確認したのは高龍寺が公開する解説であり、長本寺の位牌や関連文書そのものは未照合です。法要の年月と対象人物も、同解説に記された内容として紹介しています。
出典:高龍寺公式「高龍寺の歴史」中「村上義弘の菩提寺」節。
高龍寺公式ホームページは、令和8年(2026)11月28日に村上義弘の660回忌法要を予定しています。前掲の1799年の四百五十年忌とは、年忌の数字と年月の対応に検討を要する点があります。それぞれの記載を残し、年忌の数字だけから没年を確定することは避けます。
愛媛県立図書館のレファレンス記録は、『愛媛県史 人物』(愛媛県、1989年)624頁「村上義弘」の項を挙げ、活動を裏付ける確かな史料がなく、実在にも疑問を呈する説があると紹介しています。今回確認したのは図書館のレファレンス記録であり、県史624頁の紙面そのものは未照合です。
供養の記録や法要の案内と、伝承に登場する人物の歴史的な裏付けは分けて扱います。本ページでは村上義弘の実在・没年・系譜を確定した事実とはせず、寺に伝わる記録・伝承と史料上の評価を併記します。
出典:高龍寺公式ホームページ(2026年の法要案内)/愛媛県立図書館「村上水軍の武将・村上義弘は実在しないという説を聞いたが、本当か。」(レファレンス協同データベース、登録番号1000062953。参照資料:『愛媛県史 人物』624頁)。ウェブ資料確認:2026年10月20日。
『菊間町誌』609頁の由緒には、村上義弘の子孫が大島から佐方へ移り、元和年間以来、菩提寺として崇敬したという話が記されています。これは同頁が伝える由緒として扱い、系譜や移住の経緯が原史料で確定したとはしません。608〜609頁の記録と、既掲の創建伝承や佐方の碑を、それぞれの出典を保って読むことが大切です。
位牌・墓石の存在を伝える町誌の説明と、個々の人物の同定は別の課題です。銘文の実物確認、位牌帳や古文書との照合は今後の課題として残します。
出典:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」608〜609頁(提供された紙面写真を確認)。
村上海賊ミュージアムは、2026年10月15日付の公式スタッフブログで、特別展「高龍寺」の開催を案内しています(会期末は同年12月13日)。同館の説明では、「高龍寺記」、江戸時代の涅槃図・十王地獄曼荼羅、村上義弘の贈位記、大島島四国関係史料などが紹介されています。
高龍寺と村上氏、地域の信仰を調べる関連資料として案内します。展示を実見した記録ではなく、長本寺の1799年の文書が出品されていることも未確認です。展示内容を、長本寺の伝承を直接裏付けるものとは扱いません。
出典:今治市村上海賊ミュージアム公式スタッフブログ「特別展『高龍寺』はじまりました!」(2026年10月15日)。ウェブ資料確認:2026年10月20日。