長法寺・時の蔵 / 資料案内
『菊間町誌』からたどる菊間の記憶
『菊間町誌』には、菊間の地理、産業、教育、寺社、地域の暮らしなど、先人たちが残した多くの記録が収められています。
いま当たり前に見えている風景や寺社、地名にも、それぞれ積み重ねられてきた歴史があります。
長法寺・時の蔵では、『菊間町誌』を手がかりに、地域に残る記録を現在の風景や他の史料と照らし合わせながら紹介していきます。
寺院と信仰
第三章「教育・宗教史」に残る寺院の記録から。町誌の記述を要約し、それぞれの寺院ページで現在の写真や地域とのつながりをご覧いただけます。
長法寺
創立の寺伝、本堂の再建、御本尊の修理。堂宇と祈りを守り継いできた歩みを、寺に残る記録とともにたどります。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」594〜596頁
献珠院
十一面観音の修理と点眼の記録、地域の家々や僧侶との関わり、火除地蔵の伝承。町誌の記述と語り継がれてきた話を分けて紹介しています。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」589頁、596〜599頁
真福寺
創建と移転の寺伝、子安地蔵への祈り、石鎚山登拝先達所の記録。地域に受け継がれた信仰を、町誌と他の史料から読み解きます。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」604〜606頁
掌禅寺
本尊の伝承、開基と伝わる人物の位牌、「勝禅寺」と記された寺領坪付。現在の「掌禅寺」との表記の変遷は未確定であることも、町誌の記述に沿って紹介します。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」599〜601頁
明浄寺
享保11年の火災と本尊の再刻・開眼の記録を、別資料に残る年中行事の記述と分けてたどります。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」604頁
円福寺
天和3年の棟札と、石城寺から本尊を移したという寺伝。町誌が紹介する資料から、その関係を考えます。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」606〜607頁
円成寺
法地免許と寺号許可の記録から、町誌が読み取る庵寺としての歩みを紹介します。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」607〜608頁
長本寺
山院号や本尊の伝承、村上一族との関係を伝える位牌・墓石。寺伝と町誌の記述としてたどります。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」608〜609頁
遍照院
『菊間町誌』589頁には、第23世・実順が文政5年(1822)3月に「献珠院より転住」したと記されています。この記録を、菊間の厄除け信仰や瓦文化とともに紹介します。第15世・寛應の献珠院での閑居については、下記の未確認事項として区別します。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」589頁
未確認事項:寛應の献珠院での閑居は、589頁の世代表だけでは確定できません。献珠院側の記事が参照する598〜599頁との照合、および年代の不整合の検討が未了です。原史料・過去帳との照合も未了のため、確定した史実として扱いません。また、実順の「献珠院より転住」という記載だけで、献珠院の住職を務めたとまでは断定しません。
神社と地域の信仰
加茂神社
境内境界や祭礼に関わる古文書を、後世の修復と「考証を要する」という町誌の注意とともに紹介します。
参照:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」560頁、590頁
記録を読むときに
町誌に記されていることと、現在確認できる事実は区別します。寺伝や地域の伝承は、そのように伝えられてきた話として紹介し、確定した史実とは扱いません。
他の史料と表記や内容が異なる場合も、一方を推測で正しいと決めず、出典を示して読み比べます。
この資料案内は『菊間町誌』をもとにしています。別の書籍である『菊間町案内記』の記述とは混同せず、それぞれの書名と参照頁を明記します。
いま残る場所へ
古い記録を読み、現在の風景を確かめる。「地域とご縁」では、菊間の寺社や人、活動を紹介しています。
資料情報
書名:『菊間町誌』
本ページの参照箇所:第三章「教育・宗教史」560頁、589〜590頁、594〜601頁、604〜609頁
地域の記憶をお寄せください
昔の写真や資料、寺社や地名にまつわる記憶をお持ちでしたら、お聞かせください。地域の皆さんとともに、確かめられる記録を少しずつ残していきます。