金龍桜のエドヒガンという品種は、関連記事「掌禅寺を歩く」に記録した現地案内板と、今治経済新聞の2025年3月31日付記事で共通しています。一方、樹齢には異なる紹介があります。現地案内板は約400年、2016年4月5日付の個人探訪記「新・愛媛さすらい日記」は300年、2024年の「神仏探訪記」と2025年の今治経済新聞は約400年としています。
本文の「400年以上」という紹介も、確定した測定値としては扱いません。植栽年や各資料の推定方法は未確認であり、樹齢を一つの数値に確定せず、それぞれの記録時点と出典を分けて読みます。
「神仏探訪記」の2024年6月28日付記事には、2018年7月の西日本豪雨で金龍桜が倒木の危機に直面し、地域の人々らが支えの手直しや根元の補強を行ったという説明があります。これは外部記事による紹介です。被害の状況、保護作業の内容や時期について、当サイトでは寺院側への確認や作業記録との照合を終えていません。
今治経済新聞は、2025年3月29日の花まつりに人々が訪れ、コンサートも開かれたと報じています。古木を眺めるだけでなく、桜の下に人が集まることも、地域とのつながりを伝えています。行事の記述は同年の報道に基づき、今後の開催を保証するものではありません。
本堂について、既存本文は弘化2年(1845)の再建を伝えています。これに対し、『菊間町誌』599頁の建物欄は弘化5年(1848)建築、600頁の第10世の欄も弘化5年再築と記しています。この相違は残し、起工・完成の違いなどと推測して埋めません。棟札や「掌禅寺手控」などの原史料との照合が必要です。
601頁に掲載された「勝禅寺」寺領坪付は、町誌の翻刻を確認した段階です。原文書は未照合のため、既掲の寺名に関する留保を維持します。曹洞宗公式「曹洞禅ナビ」では、現在の寺名「掌禅寺」、読み「ショウゼンジ」、菊間町池原1100の所在地を確認できますが、樹齢や災害の経緯を確認する根拠とはしていません。
出典:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」599〜601頁(提供された紙面写真を確認)。以下の現地資料・外部記事・宗派公式情報を参照。ウェブ資料確認:2026年10月20日。