長法寺・時の蔵 / 菊間の産業と信仰の記録
金刀比羅社の瓦灯籠
― 菊間瓦と海を渡る人々の祈り ―
1. はじめに ― 海を照らした瓦灯籠
菊間の瓦の歴史は、瓦を焼く窯の中だけで完結していません。原料を運び、できあがった瓦を積み出す船の働きも、地域の産業を支えていました。その海上交通と祈りのつながりを伝える資料が、金刀比羅社の瓦灯籠です。
今治市かわら館の公式解説は、文政9年(1826)に航海安全を祈って建立された灯籠が、約170年間、航海灯の役割を担ったと紹介しています。この記事では、この解説と文化財一覧、海運の歴史資料を手掛かりに、人々の営みをたどります。[1]
2. 菊間瓦と海上交通の歴史
今治市の海事史は、菊間瓦が江戸時代に松山藩から製造・販売を公認されたことを紹介しています。瓦の原料となる粘土を外から運び入れ、製品を送り出すという仕事には、海を行き来する船が関わっていました。明治・大正・昭和初期には、瓦船や土船などが地域の海運を支えたと記されています。[2]
1986年刊の『愛媛県史 社会経済3 商工』は、瓦船が菊間瓦を積み出し、帰りには燃料を積むことが多かったと説明します。帆船から機帆船へ、さらに昭和40年頃からトラック輸送へと移る過程も記されており、運び方の変化を含めて産業の歴史を読むことができます。[3]
現在の菊間町窯業協同組合の製法解説には、土の調整、成形、みがき、乾燥、焼成、検査・出荷の工程が示されています。これは現在の製法の説明であり、1826年の灯籠を同じ設備や工程で製作したことを示す資料ではありません。[4]
3. 文政9年(1826)の瓦灯籠
かわら館の公式解説が示す建立年は、文政9年(1826)です。建立の目的については、瓦船や土船の航海安全を祈ったものと説明されています。ここで用いる年代と目的は、市の解説に基づくもので、今回、銘文の原物を読み取って確かめた記録とは区別します。[1]
市の文化財一覧には、正式名称「金刀比羅社瓦灯籠」、市指定有形文化財の工芸品、数量2基、指定日1983年(昭和58年)3月19日とあります。所在地は「菊間町浜(かわら館・金刀比羅神社)」です。指定対象は瓦灯籠であり、神社全体がこの指定を受けているという意味ではありません。また、一覧だけで2基それぞれの建立年を確定することもできません。[5]
4. 瓦船・土船と航海安全の祈り
瓦船とは瓦を運ぶ船、土船とは原料の土を運ぶ船です。今治市の海事史は、運ぶ物に応じた船の呼び名として説明しています。この区別は輸送の仕事を示すもので、二つの船が同じ形や大きさだったことを意味しません。[2]
かわら館の説明からは、灯籠に航海安全の願いが込められ、航海灯としても使われたことが読み取れます。祈りのために立てられたものが、船の行き来にも関わっていたという点に、この灯籠の特色があります。ただし、点灯を担った人、灯火の燃料、見える範囲、継続的な点灯の記録までは確認できていません。[1]
5. 金刀比羅信仰と菊間の人々
香川県琴平町の金刀比羅宮は、公式案内で海上守護の神としての信仰を紹介しています。海上安全を願う金刀比羅信仰を理解する手掛かりですが、この一般的な説明から、菊間の社の創建年や祭神、灯籠の建立者を決めることはできません。[6]
片岡樹先生作成の「きくま神仏地図」には「金刀比羅宮」の登録があります。長法寺の地点台帳ではKK-106に当たります。浜地区の位置と名称は、市の文化財一覧にある金刀比羅神社との対応を考える手掛かりになりますが、地図の個別説明には灯籠の記載がありません。現段階では関連する所在施設の有力候補とし、指定灯籠そのものを示すピンとは断定しません。片岡先生の研究上の解釈とも区別します。[7][5]
6. かわら館に残る歴史資料
かわら館の公式案内では、2階の常設展示室に歴史資料として瓦の灯籠が紹介されています。展示は、瓦の製造工程や産業の歩みと併せて、船の安全を願った歴史へ目を向ける機会になります。[1]
市の文化財一覧は、指定2基の所在地として、かわら館と金刀比羅神社を併記しています。ただし、各所在地の基数や各灯籠を識別する寸法・銘文は、この一覧には示されていません。かわら館の展示解説も、指定2基と展示品の個別の対応を示していません。そのため、各場所に原物が1基ずつあるとも、原物と復元品を合わせて指定2基であるとも断定できません。[5][1]
展示品の移設年月日、修復部分、復元品の有無と製作記録も、今回確認した公式ページだけでは確定できません。原物・修復物・復元品を区別し、指定調書と収蔵台帳、現地の銘文を照合することが今後の課題です。
7. 地域の産業と信仰を未来へ伝える
ここからは、長法寺・時の蔵としての考察です。瓦を作る仕事、海を通じて運ぶ仕事、安全を願う祈りを並べて見ると、灯籠を一つの工芸品として眺めるだけでは見えてこない、暮らしと産業のつながりに気づきます。確かめられる記録を重ねながら、菊間の人々の営みを伝えていきたいと考えています。
『愛媛県史』は瓦船の説明で『菊間町誌』を参照していますが、今回は町誌の該当本文を直接照合できていません。県史に載る説明と町誌原文の確認は分けています。今後は、2基の寸法・形状・銘文、移設・復元の文書、船や建立に関わった人々の記録を調べます。具体的な航路や輸送先、製作者、建立者は、資料で確認するまで未確認のまま残します。[3][8]
8. 参考資料・関連リンク
[1]今治市かわら館「館内のご案内」:2階常設展示「瓦の灯籠」。1826年、航海安全の祈願、約170年間の航海灯という公式解説。
[2]今治市「今治の歴史 海事編」:「菊間瓦と海運業の発展」。瓦船・土船、瓦産業と輸送。
[3]『愛媛県史 社会経済3 商工』1986年「五 椀船・瓦船」:「瓦船」の項。愛媛県生涯学習センター「えひめの記憶」公開本文。町誌を参照する記述は間接確認。
[4]菊間町窯業協同組合「製法」:現在の製法の説明。
[5]今治市「菊間地域の文化財」:金刀比羅社瓦灯籠の名称・区分・数量・所在地・指定日。
[6]金刀比羅宮公式サイト:香川県琴平町の金刀比羅宮と海上守護の信仰。菊間の社の個別由緒とは区別。
[7]片岡樹先生作成「きくま神仏地図」:金刀比羅宮の登録名と位置。KK-106は長法寺の台帳管理番号。
[8]CiNii Books『菊間町誌』:正編1979年・続編2004年の書誌。灯籠・海運の原文と頁番号は未照合。
資料確認日:2026年10月11日。本文は公的資料・県史で確認した記載、信仰一般の説明、編集上の考察、未確認事項を分けて記しています。写真・図版は今回掲載していません。