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献珠院 歴代住職・僧侶の記録

秘仏・十一面観音と法灯の継承

献珠院では、秘仏である十一面観音への信仰とともに、寺の法灯が受け継がれてきました。本ページでは、『菊間町誌』や寺に残る記録などをもとに、現時点で確認できる住職・僧侶と寺院のつながりを記録します。

歴代住職の全系譜を確定したものではありません。氏名・代数・在任年代を推測で補わず、確認できる記録から整理しています。

一 秘仏・十一面観音と献珠院

献珠院は、愛媛県今治市菊間町高田にある真言宗豊山派の寺院です。御本尊の十一面観世音菩薩は、普段は御開帳されていない秘仏として大切に守られています。

十一面観音への信仰は、献珠院で受け継がれてきた祈りの中心です。御本尊と献珠院の信仰については、紹介ページをご覧ください。

献珠院と秘仏・十一面観音について →

二 史料に残る住職・僧侶

歴代住職については史料照合を継続しています

氏名と代数、在任年代の対応が確認できた事項から追記します。記録に名が残る僧侶を、そのまま献珠院の歴代住職として数えることはしません。

開基 ― 献珠院殿円覚妙善禅尼

597頁の世代表冒頭に「開基」として記載されています。住職の代数には含めず、以下の僧侶の記録とは区別します。

『菊間町誌』世代表に記録された僧侶

597〜598頁の掲載順に、確認できた記載を抜粋します。代数は付けていません。「記載年月日」は没年・入山年・就任年を意味すると断定せず、原文に「入山」「卒」等がある場合だけその語を示します。年月日の干支は省略し、原欄で省略された年号は補っていません。

増秀
「法印」の表記。記載年月日:元禄5年11月5日。(597頁)

僧名未記載・法眼和尚位
「法眼和尚位」と記載。記載年月日:「14年8月1日」(原欄は年号省略)。(597頁)

秀範
「法印」の表記。記載年月日:宝永元年9月7日。(597頁)

賢流
肩書欄は同上記号。記載年月日:「4年7月25日」(原欄は年号省略)。(597頁)

法道
「大阿闍梨」と記載。記載年月日:享保8年3月14日。同じ行に享保7年の本尊修理の記録があります。修理における法道の具体的な役割は、この記載からは断定しません。(597頁)

賢応
「法印」と記載。記載年月日:寛延2年12月17日。(597頁)

全応
「権大僧都」と記載。記載年月日:安永8年3月15日。(597頁)

亮応
「法印」と記載。記載年月日:文政5年11月19日。(597頁)

覚雄
「阿闍梨」と記載。記載年月日:文政11年7月16日。同じ行に「遍照院入山」とあります。続く括弧内の語句の解釈、および日付との対応は保留します。(597頁)

瑞〔次字判読保留〕
「法印」と記載。「慶応3年円福寺へ」とあります。僧名の次字と移動の詳細は判読・確認保留です。(597頁)

瑞応
肩書欄は同上記号。「明治9年入山」と記載。続く「18年同前」および無住・寺務代行に関する記述の対応関係は保留します。(597〜598頁)

村瀬照淳
世代表に「明治34年」「41年9月卒」と記載。598頁の記述末尾には「補教律師」の表記があります。「明治34年」は就任年と断定しません。(598頁)

慈世
世代表に僧名の記載があります。同欄に年月日の記載は確認できません。(598頁)

清水浄誠
世代表に氏名の記載があります。同欄に年月日の記載は確認できません。(598頁)

中津玄道
「大正3年〜」と記載。終期と日付の意味は確定しません。(598頁)

中津実円
世代表に「実円」「昭和21年10月」、596頁に「代表役員 中津実円」と記載されています。(596・598頁)

寛応 ― 遍照院から献珠院への隠居・閑居

『菊間町誌』598・599頁には、寛応が遍照院第15世を務めた後、献珠院に隠居・閑居した旨が記されています。献珠院での代数と隠居年月は未確認です。

寛応関係の記録には、本文の「享保5年」と、598頁「寛応記述」末尾の「延宝元年3月」との年代不整合があります。原資料内の不整合として保留し、在任年代の確定には用いていません。

三 実順と周辺寺院とのつながり

実順 ― 献珠院より遍照院への転住

『菊間町誌』589頁には、遍照院第23世実順について、文政5年(1822)3月入山、「献珠院より転住」と記されています。この記述から、実順が献珠院から遍照院へ移ったことは確認できます。一方、献珠院で住職を務めていたか、どのような立場にあったかは、現在確認できる資料だけでは断定できません。

同頁には「字大超」「周防大島の人」とも記されています。献珠院での代数や在任年代は未確認です。

出典:『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」589頁。実順を献珠院の「第○世」と推定したり、別の転住記録と結び付けたりはしません。

四 現在への継承

献珠院は、住職・檀信徒・地域の人々によって護持され、秘仏十一面観音への信仰が受け継がれています。寺に残る記録を確かめながら、僧侶と人々が支えてきた寺の継承を伝えていきます。

近現代の継承

中津実円 → 倉橋博隆 → 倉橋精隆(兼務住職)

中津実円
『菊間町誌』の世代表に「昭和21年10月」、596頁に「代表役員」と記されています。

倉橋博隆
中津実円の後に献珠院を継承。

倉橋精隆(兼務住職)
倉橋博隆の後、兼務住職として献珠院を護持。

史料について

本ページは『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」589頁・596〜599頁を参照しています。実順の転住記録は589頁、献珠院の世代表は597〜598頁、中津実円の代表役員の記載は596頁、寛応の隠居・閑居の記録は598〜599頁によります。難読箇所や年代解釈には未確認事項が残り、歴代住職の代数・在任年代等は、今後の史料調査により追記・訂正する場合があります。

中津実円から倉橋博隆を経て倉橋精隆(兼務住職)へと続く近現代の継承関係は、住職提供情報に基づきます。寺内記録の原本を今回直接照合したものではありません。世代表への掲載、住職と確認できる記載、隠居・転住の記録は区別し、掲載順から代数を推定しません。開基を住職の代数に含めず、判読困難な箇所は保留とします。

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