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遍照院の古文書 ― 明応4年の寄附状から加茂神社の記録まで ―

厄除け大師の信仰で知られる菊間の遍照院には、寺の歩みだけでなく、地域の土地、寺社の関係、祭礼や僧侶の活動を伝える古い記録があります。『菊間町誌』第三章「教育・宗教史」590〜591頁には、室町時代の明応4年(1495)から江戸時代の文政年間まで、番号1〜28の古文書目録が掲載されています。

この記事は、その目録を手がかりに、寺院と地域の歴史を読み解く入口です。目録に載ることは、その文書が現在すべて同じ形で所蔵・閲覧できることを保証しません。本文の解読、記録の成立年代、原本の現存・所蔵、現代の文化財指定範囲は、別々に確認する必要があります。

明応4年(1495)の寄附状

町誌590頁の最初には、明応4年7月6日の「得居通教寄附状及び坪付 2通」が記され、同じ頁に関連文書の写真が掲載されています。土地の寄附と面積・区画に関する記録は、遍照院と周辺の領主・地域社会の関係を考えるうえで重要な手掛かりです。

一方、ほかの歴史資料には人名を「得居通敦」とする記述があります。この違いは、単に正誤を決めて置き換えるのではなく、『菊間町誌』には「通教」と書かれていることを明示して紹介します。名乗りの同定や古文書の再読は今後の課題です。

加茂神社と遍照院

天正4年(1576)の「加茂社心経会横札木」、延宝5年(1677)の「当山鎮守并ニ別当社ノ事」、文政9年(1826)の「遍照院鎮守賀茂大明神勧請調書」といった題名が目録に見えます。これらは遍照院が加茂神社と宗教的・社会的な関わりを持っていたことを調べる手掛かりです。

文政9年の項目には、第23世実順による修覆を示す注記があります。実順は『菊間町誌』589頁に、文政5年(1822)3月に献珠院から転住したと記されています。寺社の間を移った僧侶が地域の記録の保存・伝承にも関わっていたことが分かる、興味深い連続です。

ただし、後世の修覆がある文書については、そこに記された古い出来事のすべてを、同時代に作成された文書で確認済みとみなすことはできません。

『菊間町誌』に載る古文書目録(28項目)

以下は町誌590〜591頁をもとに項目名と年月を整理したものです。原表の題名は表記をおおむね残しています。各番号は町誌の目録番号であり、現存する古文書の総数や文化財指定件数を表しません。

番号・町誌の年紀

記録・文書名(原表をもとに整理)

1
明応4年(1495)7月6日

得居通教寄附状及び坪付(2通)

2
明応8年(1499)12月5日

祐珍・光玉 許可印信(2通)

3
文亀元年(1501)7月29日

池原源六親安寄附状

4
文亀元年(1501)8月21日

当山寺敷ノ事(光玉)

5
永正13年(1516)4月8日

当流伝受事請文(祐珍)

6
永正13年(1516)4月21日

御清流請文(同)

7
永正13年(1516)6月21日

同附属(光玉)

8
天正3年(1575)3月7日

報恩院御条目

9
天正4年(1576)正月

加茂社心経会横札木

10
天正14年(1586)12月13日

遍照院検地坪付

11
寛永13年(1636)11月

報恩院末寺一札

12
寛文元年(1661)

滝見観音由来(光順)

13
延宝5年(1677)

当山縁起

14
延宝5年(1677)6月12日

御書物、乗禅寺トノ差縺シ1件

15
延宝5年(1677)8月21日

醍醐円明院法印執達

16
延宝5年(1677)9月20日

当山鎮守并ニ別当社ノ事

17
延宝8年(1680)

友正寺敷地寄附請願書(徳温)

18
天和2年(1682)5月7日

復旧願書

19
天和2年(1682)7月

龍神社棟札写

20
貞享3年(1686)6月

徳温本末定規

21
元禄7年(1694)

当山建立願文

22
元禄17年(1704)

法仏山行衆着座階位(雲崇)

23
享保10年(1725)

徳温大和上碑文

24
寛保3年(1743)11月17日

報恩院御法流ヨリノ状附属状折紙

25
延享5年(1748)3月10日

敬白請諷誦事(祐長)

26
文化10年(1813)

乃万社天王宮棟札写

27
文政9年(1826)7月21日

遍照院鎮守賀茂大明神勧請調書(実順の修覆注記)

28
文政年間(1818〜1830)

日誌、宗務上争論今治藩門徒八ヶ寺

第12・14・15・25項の文字は、『菊間町誌』591頁に印刷された活字を再確認したものです。遍照院に伝来する各古文書の原本と照合したものではありません。

※目録の上に掲げた「文書写真」の説明と、28番の後に続く「応永6年8月起筆 書写大般若経600巻」は、番号1〜28とは区別して扱います。また590頁では書名を「得居通教寄進状」とする写真説明もあります。590〜591頁の記号「○」「ホ」「カ」は、町誌の凡例に沿って読む必要があります。

『法仏山略縁起』と後世の修覆

『菊間町誌』591〜592頁には「法仏山略縁起」と題した由緒の文章が収められています。文末には文政9年(1826)7月21日に実順が修補したことを示す記載があります。弘法大師の開創、観音信仰、堂宇の消長などが語られますが、寺伝として語られた内容と、年月日が確認できる個別古文書の事実は区別して読む必要があります。

「古文書28項目」と「指定文化財4通」は別の数

町誌に28とあるのは、掲載目録の番号の数です。一方、今治市による文化財指定資料で使われる「遍照院文書4通」という数え方とは異なります。指定された文書の範囲、目録との対応、現在の所蔵や一般公開の可否は、指定台帳・寺院の確認を要します。28項目すべてが市指定文化財であるという意味ではありません。

おわりに

寺院史を残すことは、住職や堂宇の記録を残すことだけではありません。寄附状、土地の記録、祭礼の覚書、寺社の役割に関する書付は、かつてそこに暮らした人々が何を守り、どのように祈ってきたかを考える入口になります。長法寺「時の蔵」では、資料に書かれたことと、いま分かっていることを分けながら、菊間に残る記録を紹介していきます。

参考資料・関連リンク

資料の読み方と未確認事項

『菊間町誌』591頁の目録第10項は「天正14年12月13日・遍照院検地坪付」、593頁の由緒本文は「天正14年2月・遍照院寺領坪付」と記します。月と文書名が異なり、同じ史料の表記差なのか別の史料なのかは未確認です。いずれかを誤記と断定しません。

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